習作

昨日の会話。小さなお子さんを自転車の後ろに乗せたママさんが楽しそうに。子「親子丼たべたかったなー」母「食べたかったねー。○○君は親子丼てどんなのか知ってる?」子「ち(知)ってる!」母「へ〜どんなの〜?」子「(真顔で)すっかり忘れました」母「なんで嘘つくの〜(すごい嬉しそう)」子「すっかり忘れました」そのままゆっくり自転車を押して通り過ぎて行ったんですが、ずっとお子さんが「すっかり忘れました」って言ってたのに癒されざるをえませんでした。ではっ

フランスギャルっていたでしょう、昔。あれってすごいネーミングだと思います。フランスとギャル。驚異的に対照的な気がするのですよ。でも、なんだかしっくりきますね。アフリカでもコンゴでもザイールでもきっとダメ。フランスに、ギャルだから良いのですね。そんなことを思いました、の朝。ではっ


「無口な女」

随分と酔っぱらっていた。
「泊まっていかれたらどうです?」
瀬名の朦朧とする頭の中で、まだ若い部下のその言葉はどこか機械じみて
、遠いところから聞こえた。
断るつもりで、呂律の回らない舌で「大丈夫大丈夫」といいながらも、終電は既に無く
、今日に限っては流しのタクシーさえ捕まらなさそうだった。
しかし、瀬名としては、いくら泥酔の身とはいえ、まだ大して喋ったこともない、自分とは一回り以上
若いであろう女の部屋にあがりこむという事に激しい抵抗を覚えた。
8月から中途採用で部署に配属になった東峰と、会社帰りに一杯ひっかけるだけの
つもりで会社を出たのが午後9時。
年末の差し迫った仕事をようやっと終え、他の社員は足早に帰路についていた。
瀬名が一区切りをつけようと、PCのモニタから目を上げると
グレイのスーツ姿の東峰がデスクの前に立っていた。
気がつくと12畳程のスペースに残っているのは瀬名と東峰の二人だけになっていた。
いつからいたのか、と口を開きかけて、止めた。
きっと彼女は10分前、もしかしたら1時間前からそこに立っていたのだ。
部下の東峰という女性は「無口」が服を着て歩いているようなものだった。
配属になって二ヶ月も経つというのに部署内の男性が誰一人彼女の名前を覚えていないし、昼食の休憩で東峰が席を立ち上がった時に
皆が初めて気づいたかのように一瞥をくれる光景を目にして、当の瀬名自身も彼女の存在に気づく有様だった。
仕事に関しては、休むことも無く、真面目に働いてくれてはいるので文句はないが、もう少し皆に溶け込んでくれれば
と瀬名は心配したが、それも時間が解決してくれるだろうとも思っていた。
それがなんとなく後ろめたく、また部下が目の前に立っているのに気づかなかったバツの悪さに、瀬名のほうから「呑みに行かないか?」と誘ったのであった。
そんな事を考えているうちに、東峰の住むアパートの前へと来ていた。
会社から30分と離れていない住宅地だった。
足をかけただけで、そのまま崩れ落ちてしまいそうな古めかしい階段を
上がると、"朽果てる"という言葉がそのまま具現化したような木造アパートの
ドアがあった。
「お水だけ貰ってひと休みしたらタクシーで帰るよ」
酔ってはいたがそう言った。
瀬名の言葉に気づかないかのように、いつも通りといった風にドアを開けサッサと中へ入って行く
東峰を慌てて追いかけながら瀬名は何か違和感を感じた。
真っ暗な空間でキョロキョロしていると、パチリと音がして目の前が明るくなった。
そこは一面が真っ白で、最初、瀬名は部屋の中に雪が積もっているのではないかと錯覚した。
だが、雪ではなかった。そこには何も、無かった。
殺風景な部屋、というわけではない。四方を白い壁で囲まれたスペースだけがそこにあった。
テーブルも無ければ、箪笥も無い。
必要最低限の生活家具が何一つ見当たらなかった。
得体の知れない恐怖に、瀬名の身体の血が一気に引いた。
酔いなどとっくに冷めていた。
部屋に入った時の違和感、それはどこの家庭にもある臭いがこの部屋には無い。
真っ白なハンカチにできたグレーのシミのように、白い部屋に佇む東峰がこちらをジッと見ていた。
メガネ越しのその目だけが笑っている。
「私は無口なんじゃないんです」
瀬名にはその言葉が、自分を責めているのだと思った。
だが相変わらず東峰の目は三日月のように弧を描いていて言葉を続けた。
「無口なんじゃなくて、話す事が無いんですよ」
「だって、私、今日産まれたから」
意味がわからなかった。
今日産まれただって?
昨日も一昨日も俺はこいつを見てる。
瀬名は何か言おうとして、唾を飲もうとしたが、喉の奥にネバネバした蜘蛛の巣が張った様に通っていかない。
「明日も産まれるのよ、そしてその次の日も、その次の日も。だってあなたが」
三日月が崩れて、それと同時にズルリと顔全体の皮膚が、真っ白い床にグチャリと嫌な音を立てて落ちた。
みるみるうちに、東峰の細身の身体が、糸の切れた傀儡のようにグニャグニャと変形して崩れ落ち、床の上には
こんもりと盛り上がったグレーのスーツだけが残った。
一分、それ以上だろうか、瀬名は東峰であったもののの残骸を見つめて思案していた。
そういえば、東峰のことを無口だと知っているのは俺だけではなかったか?
毎日、同僚達が一瞥をくれるのは俺へ向けてではなかったか。
なぜ
東峰なんて女は今は存在しない、それは俺の死んだ妻の旧姓ではなかったか?
死んだのではなく。
「ああ、そうか、俺がお前を産んでいたんだな」
床上の残骸は跡形も無く消えていた。
瀬名はゆっくり微笑み、真っ白い壁に手をあてると懐かしそうに頬擦りした。
瀬名の背後で冷たい空気が揺れ、首筋を撫でた。