農村ドーム

ということではじめまして、おでん泥棒(総勢300人)です。

25日26日にセミナーとやらに行ってきます。
上司から「しっかり勉強してこいよ、このオカマ髭」というようなありがたい激励の言葉を頂いきまして
「ウォッサ!(手に持ったミニカーをみせつけブッブーとか叫びつつ)」と元気よく返事をしました。
しかし心の中では会場である品川に対して「何が品川だよ、どうせ品とか川とかばっかり言ってるやつしかいないんだろ」と悪態をつく始末。
品川は好きなんですよ、わりと。でも遊びに行ったりは好きなんですが、仕事となると一気に品川の魅力が半減するから不思議です。
なというか、品という字さえもダンボールが三つ重なっているくらいにしか見えないネガティブさ(ダンボールには白骨が入っているから)。

なんとも、不安だらけなわけですが、一番の不安材料は僕の勉強嫌いにあるわけです。
小中高(中国のかたの名前ではありません)と勉強らしいものを避けていた自分にとっては、勉強だなんてまさに20年ぶりくらい。
ノートの買い方さえももう忘れました。自分で木を切るところからはじめるのかと、そんくらいなんです。
もし。勉強する内容が「アライグマにあげると死んでしまう餌はなにか」とか「死んだアライグマの幽霊のはなし」とかだったらすごい勉強します。

そういえばアライグマって本当になんでも洗っちゃうらしいですね。自分が食べようとしてるものまで。
馬鹿だなあ、あいつら(指に噛み付いたまま離れないアライグマをブンブン振り回しながら)。


先日、あるカンボジアの友人から封書が届いた。
簡素な葉っぱ(たぶんバナナの葉であろう)に流暢な日本語でいささか他人行儀な文面がしたためられていた。
要約すると"なぜ私が腕時計をしなくなったか"それが聞きたいとのこと。

私はまず葉っぱをグシャグシャに丸め、作ったばかりの紙粘土のオブジェクトにそれを乗せ、しげしげと眺めた後、ゴミ箱にオブジェクトごと投げこんだ。
その拍子にものすごい音がしたので、階下から大家(という苗字の)がすッ飛んで来たので駆けつけ三杯とばかりにビンタを食らわせ話を始めることにした。

1時間ほどしてからであろうか、ケンジ(苗字は大家)が口を挟んだ。
「いいかげんアロエの効能はわかりましたから違う話をしてくだい」
何ッ!このブルドーザーマニアめ!いきりたち、私はファミリーコンピューターのコントローラーを握り、すぐさま本体ごと窓に投げつけた。窓ガラスが盛大に割れる。こいつはマズイ。破片が足に刺さったら一生、もしかしたら死ぬまでガラスの破片が刺さったまま棺おけに入る羽目になるかも。その前に、火葬ってガラスも燃えるのかしら?
3時間ほど思案した後、破片を片付けるケンジに今日二回目の
ビンタを張り、姿勢を正す。
そうだ、私が話したいのはなぜ腕時計をしないか、だ。
だがこいつはケンジであってカンボジアの古い友人ではない。
しかしカンボジアの古いケンジだと思えばその問題も解決するというものだ。
ケンジに茶をすすめ、私は家を出た。
あの日なくした腕時計を探すために。犬に噛まれた手首が痛すぎてやむなく投げ捨てたあの腕時計を探すために。
窓からアロエを振りながら見送るケンジに私はそっと笑みを返した。