しょわい様

まだ幼稚園にあがるか上がらない頃、近所の家の屋根に人が立っているのをよく見た。

今考えるとこの世のものでは無かった気がする。
人というにはその姿はあまりにおぼろげであった。冬の晴れた日でもそれは砂塵固まりの如く、今にも崩れてしまいそうに揺れていた。
当時は形が人間のようだというだけで幼稚園児には人と認識されたのだろう。
薄黒く、しかし確実に存在していたそれ。

少しして言葉も喋れるようになった頃、そのおぼろげな何かについて祖母に尋ねてみた事がある。
縁側で猫を撫でていた祖母は、母や兄のように幼い私がいう戯言に嫌疑のかけらもない抑揚の無い声で「それは"しょわい様”だなぁ」と言った。
"しょわい様"
意味はわからなかったがその言葉の響きがなんとなく恐ろしく、口に出すのをはばかられ、暫くは悪夢にうなされた。

そんなこともすっかり忘れていた頃、祖母が往生しそうだという報せを受け実家に戻った。
冬の突き刺すようなそれでいて透き通った空の下、実家の屋根に"しょわい様"があの日と変わらずおぼろげな姿で立っていた。

祖母はその日の夜に亡くなった。