で、前の日記のような、所謂「少女漫画」を読んでいる、というと周りの人に「ええ!?」って顔をされます。
その度に、「ええ!?」って言い返すんですが、やっぱりイメージとかなんでしょうか。「オメーはどおくまんを読んでいろ」ってことか!いや大好きですけどね、ちょんわちょんわ!


小学生くらいの頃からマンガを読み始めて、その頃から少女、少年構わず読んでいたわけですが、少女マンガを読むきっかけになったのは母親の買ってきていた雑誌だったんだと思います。
ジャンプで本宮ひろしが描く「ばくだん」を読みつつ、母親の買ってくる「ぶーけ」やら「LaLa」やら「あすか」を読み漁ってたんですね。「小さな恋のものがたり」とか「○○界隈の人々(かなり題名失念)」とか名作も多かった。
それこそ、マンガに飢えているという、そんな感じでした。

当時から少女漫画と少年漫画の区別というのがわりと自分の中で無くって、"マンガであれば面白いものはなんでも読む"というスタンスでした。
父親の買ってくるビックコミックの"赤兵衛を"なんとなくワケもわからず読んでいたり。

で、やっぱり少女漫画にせよ少年漫画にせよ、琴線に触れるマンガっていうのは今も昔も一緒なんじゃないか、と。
それが女性のに触れるか、男性のに触れるかは個人差もあるし一概には言えないんですが。

ただ、"少女漫画だから読まない"、"少年漫画だから読まない"、っていう人を見るとなんかすごく勿体無いなぁとか思います。

なんとなくそんな事を思ってみました。



「三時前…人が一番死ぬ時間(うろおぼえ)」
(オスカー・ライザー/トーマの心臓 より)

悪夢にうなされ起き上がったユリスモールに「何時?」と訊かれたオスカーがこう答える。
リアルな日常であれば、「ふーんそうなんだ」と済まされそうなシーンだが、このマンガの中ではひときわオスカーの格好よさを表していると思うのは俺だけです、たぶん。

トーマの心臓で描かれる主人公であるギナジウムの生徒達はサイフリートやバッカスを始め、ユーリ、エーリク、オスカーと非常に達観している。
逆に、大人たち「ブッシュ先生」「エーリクの父」「マリエ」「トーマの祖母」(*なんだか色々細かく間違っていたので訂正しました)などはとても子供っぽく映っている。
唯一、オスカーと親密な校長でさえも、手玉に取られているようなそんなイメージだ。

しかし読み進んでいくと達観しているようにみえる少年達のそぶりや振る舞いも実はとても危うく脆い内情の裏返しで、ある種能天気であったりわがままである大人こそが要所で大人の対応を見せているのも面白い。

こんな長く書くつもりはなかったのだけれど、とにもかくにもカッコイイセリフなのだけは間違いないのである。

最近、変な眠りが多いです。こんな時間に起きるつもりはなかったのに。寝たのは朝4時くらいです。

中学時代に「野球のビールかけをオイルかけにしたら良いよな」と友達に言ったら「ふーん」とだけ返されました。
まあそうだよなぁ。きっとオイルって言葉が使いたかっただけですもん、当時の俺は。

眠れないとこんな変なことばっかり思い出すんですが、大半が中学生の頃のことばかりで、やっぱりああいう時期って言うのは変な魔力みたいのが日常生活で働いていたんだろうなぁと思いますね。ブリーフはいてる友人をみただけで大笑いできたり、美術の時間に自分の手の甲に五亡星を絵の具でかいてたりとか。そういうのばっかり思い出します。それのせいで町に出たとき不良に「お前どこ中だよ?」とかいってからまれたりとか。なんでだよ。

ということでそろそろ眠れそうなんで、また。