海辺の診療所にて

その初老の医師は嘘のような真面目な顔をして2メートルほど上にいる少年を見上げ、寿命を告げた。
フラフラと大きなボールのようなものに腰掛けているが、思ったほど不安定ではないようだ。
「これはね、バランスボールというんだよ」
「そして君はあと1年生きられるかどうか、だ」
ボールに揺られながら、リズムを取るように、それでいて石のような硬い声で少年に告げる。
「あくまで、これは推測であって実際は1年と1日かもしれないし、1年と364日かもしれない」
「そしてこれはバランスボール」
なぜそこまで1年に拘るのです?
喉元まであがってきたその言葉を少年はなんとか腹までおしやり、なんとなく窓の外を見た。
遠くに見える穏やかな海に白いヨットが浮いている。
「それで」
「僕の病名はなんなんです」
不規則に揺れるている、バランスなんとかいうものに目を戻して一番訊きたかった事を少年は口にした。
医師の身体が一瞬ぴたりと止まって、またすぐリズミカルに、まるであの白いヨットのようにゆっくり揺れた。
「ドウェイッシュポリーヌ症候群」
「日本名では」
ふと、医師の身体が激しく揺れ、一瞬後、「カコウプ」と軽やかな音を立てて大理石の床に倒れこみ、そして、動かなくなった。
真っ白な部屋には物言わぬ白衣の老人と、主を振り落とし背の軽くなった球体と少年だけが残った。
どうしたものか、と、腰掛けた脚立の上で少年がみじろぎしていると、一匹の油蝉が窓から入ってきて、医師の禿げ上がった頭の上にとまった。
"そういえば今日はとても暑い"と少年は思った。
「まるで」
そこまで思ったとき、「まるで」なんなのかをまったく思い出せなかったことにひとり含み笑いをした。
笑いに誘われたかのように、ジーワとひとつ鳴き、博士の頭の蝉は静かになった。
部屋にはまた静寂が訪れたが、外では祭囃子がうっすらと聞こえ始めた。
「先生、僕の病名は一体なんなんです」
「早くそれを知らないとお祭りが始まってしまう」
開いた窓から、びゅうと湿気を含んだ南風が入り込み、ゴムで出来たボールを押した。
球体が転がり、医師の頭に軽く触れると、油蝉はもと来た様に窓の外へ飛んでいった。

少年は目を閉じて「夏が終わる前までには、次の先生が来るといいな」と呟いた。